産業と技術の博物館の動向

−ドイツの新博物館を訪ねて−

石田正治


1.はじめに

 1990年夏と1992年暮れから93年新年にかけてヨーロッパに行く機会にめぐま れた。90年の旅行は「90ヨーロッパ技術史の旅」と題し、ヨーロッパの主要な産 業遺産と博物館を訪ねる視察旅行であった。その見聞はすでに紹介しているが (1) 、その時に見学した未完成の2つの博物館について、92/93年の観光旅行の折 、幸運にも再びその2つの博物館を訪ねることができ、観光旅行の途中で十分で はなかったが開館後の展示を見学することができた。
 そのドイツの2つの博物館とは、オーバーシュライスハイムにあるシュライ スハイム飛行機整備格納庫とマンハイムにある技術と労働の博物館である。それ らは、技術と産業遺産の保存と展示にこれまでにない新しいコンセプトと内容を もつ博物館であった。もとより研究課題を明確にして見聞してきた訳ではないの で、旅日記のような解説にならざるを得ないことを前もってお断りしておくが、 現在日本各地で機運の高まりつつある産業遺産を収蔵展示対象とする産業技術史 関係の博物館のあり方に参考になることがあれば幸いに思う。
 また紙幅を割いて、読者が将来に欧州を旅行される時のガイドとして博物館 の所在地と休館日、開館時間などを紹介した。一度はこれらの魅力溢れる博物館 を訪ねられることを推奨しておきたい。


2.シュライスハイム飛行機整備格納庫

Flugwerft Schleiheim
MUSEUM FR LUFT- UND RAUMFAHRT

 ドイツの技術史の博物館と言えば、まず筆頭にあげられるのがミュンヘンに あるドイツ博物館である。ドイツ博物館は、オスカー・フォン・ミラーが1903年 に提唱し、1925年に開館の科学、技術、産業の総合博物館であり、今日では世界 屈指の技術史の博物館であることはよく知られている。そのドイツ博物館の最初 の分館がシュライスハイム飛行機整備格納庫(フルークベルフト・シュライスハ イム、以下FWSと略)である。
 ドイツ博物館の数ある展示部門の中で、特に重点がおかれているのは航空宇 宙部門である。ドイツ博物館の全展示面積は55000平方メートルであるが、航空 宇宙部門はその内の8000平方メートルの展示面積を有し、50機以上のオリジナル 資料によって人間が空を飛び始めた時代から現代のエアバスに至る技術の歴史を 展示している。
 またドイツ博物館は、全ドイツの「航空宇宙史研究センター」としての役割 も担い、ドイツ語圏域のこの分野の研究の指導的地位にある。FWSは、この航 空宇宙史研究センターの一部門で、ミュンヘンのドイツ博物館の航空宇宙部門の 展示と相互補完する立場に位置付けられている。
 FWSは、ドイツでは現存最古のシュライスハイム飛行場の付帯施設であり 、20世紀のドイツ航空史を語る価値ある遺産である。
 世界的には1909年、REIMSとBERLINに最初の飛行場ができている。ついで1912 年、シュライスハイム飛行場が創設された。この当時のヨーロッパは、第一次 世界大戦直前で導火線に火のついた火薬樽の運命にあった。こうした状況下の中 で、南ドイツ、バイエルン王国の軍部は軍備増強のために1912年4月、飛行部隊 を創設し、シュライスハイムが基地となってシュライスハイム飛行場ができたの である。 (2)
 はじめに司令部の建物が1912年に着工、翌1913年5月に完成した。この建物 は今日まで残され、飛行場施設としてはドイツ最古の建造物となっている。飛行 機の整備格納庫は1917年に計画され、1918年に中心の建物が完成している。その 当初の計画は、20機の飛行機が同時に格納でき、整備できる大きさとするもので あった。また、その建造には大量の鉄筋コンクリートを使用した画期的な建築物 で、建築技術史上からも注目される整備格納庫である。第二次世界大戦までシュ ライスハイム飛行場は、戦闘機パイロットの訓練学校になるなど軍事上重要な役 割を果たし、その大戦終結後はパイロットの訓練施設となった。そして1981年、 整備格納庫と司令部の建物は、保存すべき歴史的建造物リストに載り、1985年連 邦閣議とバイエルン州議会はドイツ博物館の「整備格納庫の再建と展示と資料修 復作業場のための新建屋を建設する」という事業案を承認した。
 1990年8月、ドイツ博物館を視察した時、われわれの訪問に対応されたハイ ンツェルリンク氏から、ドイツ博物館の概要とFWSの計画の説明を受け、シュ ライスハイムまで案内していただいて修復作業中の整備格納庫を見学することが できた。この時は新築部分はまだ基礎工事の段階であった。また展示資料の修復 作業場も見学でき、担当者から歴史的資料の修復整備作業の実情を聞いた。飛行 機用のエンジンなどは分解するのに工具が現在のものでは合わず、そういうもの も古いものを収集しておかねばならないと話されていたことが印象に残っている 。
 そして1992年12月30日、博物館に生まれ変わったFWSを再び訪ねた。FW Sはミュンヘンの中心から約13キロメートル離れた地にあり、鉄道ではSバーンS1 のFreising行きの電車に乗り、Oberschleiheim駅で下車、そこからあるいて約15 分の所にある。近くには陶磁器の博物館として知られるシュライスハイム城があ るので合わせて見学するとよいだろう。
 FWSは、約7800平方メートルの展示面積を有し、次の4つに大きく分けて 展示を行っている。
@航空の一般案内として、ダグラスDC−3、 ハインケルHe−V、オリン ピアマイゼな どの飛行機の展示。
A飛行の黎明期として、リリーエンタールと ヴォルフミュラーの滑空機を復 元展示。
Bシュライスハイム飛行場の歴史の展示。
Cその他に約20機の飛行機、多数の航空用 エンジン、地上用機器、ヨーロ ッパTロケ ットの第一段部などの展示。
 FWSは、航空史に関心あるものには必見の博物館であろうが、展示施設の 整備格納庫と司令塔の建物そのものが重要な産業遺産であることを見ておくべき である。その他に注目すべきは、新館の一部1000平方メートルの飛行機とその原 動機の修復作業場である。ここはその作業場も見学できるようになっていて、館 員の修復作業の様子を見ることができる。博物館活動の展示というよりも、技術 の博物館ではそうした人間の行為もまた技術に関わることなのだからFWSのこ の作業場展示は技術系の博物館展示のあり方として範とすべきことであろう。

◆シュライスハイム飛行機整備格納庫
  (Flugwerft Schleiheim Deutsches Museum)
 開館:毎日 午前9時〜午後5時
 休館日:新年、謝肉祭火曜日、イースター、日曜日、5月1日、聖霊降臨祭 日曜日、聖体節、11月1日、12月24〜25  日、12月31日
 所在地:D-8042 Oberschleiheim
     Effnerstrae 18
 電話:089-2179252
 入館料:3DM(大人)※入館料は1993年時

3.州立技術と労働の博物館

Landesmuseum fr Technik und Arbeit in Mannheim

 州立技術と労働の博物館(以下、LTAと略称)はマンハイムの中心から東の郊外、高速道路のインターチェンジに近い、かつて のマイマルクト地区の中にある。写真に見るように、バーデンヴュルテンベルク 州立の白亜の博物館で隣接の南ドイツ放送局の建物も同じデザインである。博物 館は1990年9月に開館、その名が示すように「技術」と「労働」が主題の歴史博 物館である。技術の博物館はすでに多数あるが人間が働くということとその労働 者の生活と社会をテーマとした博物館は大変めずらしい。人類の様々な営みのな かで「労働」は人の生存時間の極めて多くの部分を占めているのは言うまでもな いことで、その歴史的過程を明らかにし遺産として未来に伝えることは重要であ る。それは有形の物でなく、また音楽のように真実の姿のままに記録しにくいこ とがらであるからこれまで博物館の主題にはなりにくかったのであろう。その課 題に挑戦的意欲的に真正面から取り組んだのがLTAである。このLTA設立の 概念(コンセプト)については、すでに種田明氏が『技術と労働の博物館 −ミ ュンヘンからマンハイムへ−』 (3) で詳しく考察しているので、それを参照されることをお願いし、ここではでき るかぎり種田氏論文の復唱を避けて話を進めたい。
 はじめにLTAの理解のためにその構想から開館に至る歴史的経緯 (5) を紹介しておこう。1977年10月、シュトゥットガルトのある技術展示会開会の 時に、フィルビンガー州大統領が「バーデンヴュルテンベルク州に技術博物館が ふさわしい」と挨拶したのがはじまりであった。78年10月にはシュペス州大統領 が公式に政府案として近い将来に州立規模の技術の博物館建設すると宣言し、79 年1月には技術発達とそれが国民の経済社会にどのような影響をもたらしてき たかを体験学習できる社会教育施設としての州立技術博物館の設置を閣議決定し ている。同年7月、閣議は次の7つの領域を博物館設立のコンセプトのための主 題領域とすることを承認した。
 1)繊維技術
 2)機械工業の発達(エスリンゲン機械工場) 3)自動車製造
 4)化学と電気技術
 5)エネルギ
 6)鉄道と道路
 7)技術と医学
同79年10月、閣議は博物館の建設場所を州議会が推薦したマンハイム市にする ことを決定し、80年2月には州議会もこれを承認している。80年秋よりプロジェ クトグループがマンハイムに移り、資料の収集が始まる。そして81年5月19日の 閣議において、博物館名称が「Landesmuseum fr Technik und Arbeit in Mannheim 」と決まったのである。
 一方、新博物館と隣接の南ドイツ放送局の建物の設計は懸賞付公募となった 。82年春にその広告が出され、83年2月、審査員は応募作品の中からベルリンの 女性建築家、インゲボルク・クーラーの改定設計案を採用することを推薦し、州 政府は同年6月、クーラーの設計を実現化に移すことを決定する。84年4月には 州大統領によりローター・ズーリング博士が博物館館長に任命されて、博物館の 実務面での骨組みが出来上がったのである。建物は、起工式が85年4月、棟上式 は87年11月に祝い、開館は90年9月28日である。
 私がはじめてこの博物館を訪ねたのは同年の8月29日であったからちょうど 一カ月前であった。慌ただしいなかであったが最後の仕上げの様子を見学できた のは幸運であった。開館後は見ることのできない展示の裏側をつぶさにみること ができたからである。
 LTAは、ドイツ南西部(バーデンヴュルテンベルク州域)の技術と社会の 200年を(1)工業(産業)化の黎明期とその準備の   時代
(2)工業確立期と工業の高度化
(3)第一次世界大戦から現代まで
の3つの発展段階に区分し、16のテーマを設定して、建物の最上の6階から スパイラル状(渦巻き)に年代を追って配置している。LTAではこれを空間− 時間のスパイラル(Raum-Zeit-Spirale)と称し、見学者が上から下へスパイラ ルに歩くことによってタイムマシンに乗ったような気分で空間と時間の技術史の 旅を体験し、それぞれの停車場(展示場所)でその時代の働く人々の生活と技術 を体験あるいは見聞できるように建物の構造と展示が工夫されている。
 さて、実際に一見学者として見たLTAはどうであろうか。残念ながら私は バーデンヴュルテンベルク州やドイツ、あるいはヨーローパの近現代史を予備知 識として全く持っていないので展示を地元の方々と同じように理解することはで きないが楽しく好奇心を呼び起こす博物館である。展示しにくい資料をうまく動 かしてみせている、あるいは博物館員の熱心な解説があるなどLTAの意気込み が少なからず伝わって来る。展示は日本の博物館には見られない迫力があり、例 えば紙製造工場では水を流して大形の水車がまわり、パルプ粉砕のミルや抄紙機 が動く。また一階では中央通路にレールが埋め込まれ、定刻にここを蒸気機関車 が客車けん引し、人を乗せて数百メートル動く。機関車は一度は博物館の外にで て戻る。乗客は子供だけでなく大人も楽しんでいる。感心させられたのは、その 機関車は蒸気そのもので動かしていることである。つまり釜で石炭を炊くことは できないので、高圧蒸気別に作り、機関車のボイラに注入して蒸気機関車として 動かして見せているのである。労働の展示というよりもズーリング館長が言うよ うに「働いている博物館(arbeitendes Museum)」と形容するのが相応しい内容 である。
 展示資料は、技術関係では他に主なものとして古い機械時計、製粉所、織布 工場、機関車の整備工場、ボイラ製造工場、印刷と植字、化学反応装置、横置定 置型蒸気機関、自動車製造とロボット、数値制御工作機械などがある。館外施設 としては、ネッカー川に博物館船マンハイム号が保存展示されている。
 90年に訪問した時は、その収蔵庫を見ることができた。膨大な量の資料と収 蔵庫の巨大さにその時は驚かされたが、それらの資料が背景にあって博物館の質 の高い展示が実現できると改めて考え直した。日本の博物館では一般に展示面積 よりも収蔵庫の面積の方がはるかに小さいようだ。まず十分な収容力のある収蔵 庫をつくり、ついで作業室、工作室とそこで働く人々の資質を充実させる努力を これからの日本の博物館に要望したい。


4.おわりに

 紹介した2つの博物館は、博物館設立のコンセプト、展示内容、展示方法、 あるいは歴史的建造物の保存と活用、資料の修復作業場を展示施設にするなどこ れまでの博物館に見られなかった斬新な考え方が随所に見られて示唆に富む博物 館である。冒頭にも述べたが、読者の渡欧の機会にこれらの博物館の見学を進め たい。
 本稿執筆については、末尾の資料を参考にした他、1990年にわれわれの訪問 に快く応接いただいたドイツ博物館航空宇宙部門担当のハインツェルリンク氏、 州立労働と技術の博物館のズーリング館長、クニッテル博士、ヴィルツ博士、ブ ラック氏の解説といただいた資料が大いに参考になっている。改めて、諸氏に謝 意を表したい。

◆州立技術と労働の博物館
(Landesmuseum fr Technik und Arbeit in Mannheim)
 開館:火曜日〜日曜日
    午前10時〜午後5時
    ただし水曜日は
    午前10時〜午後8時
 休館日:毎月曜日
 所在地:D-6800 Mannheim 1
     Museumsstrae 1
 電話:0621-292-4750
 入館料:4DM(大人) ※入館料は1993年時



《参考資料》
(1)石田正治「産業革命期の技術とその遺産」  1991.3
(2)Helmut TrischlerEINE NATION VON FLIEGERNKultur & Technik 4/1992
 Deutsches Museum
(3)種田 明「技術と労働の博物館 −ミュンヘンからマンハイムへ−」大阪 の産業記念物14 1991.10.15 同刊行会、桃山学院大学(4)Lothar Suhling Das Landesmuseum fr Technik und Arbeit in Mannheim −Geschichte  und Konzeption− 1990 博物館広報資料
(5)Die Entwicklung des Landesmuseum Mannheim im berblick」 1990 博物館広報資料
(6)TECHNIK IN RAUM UND ZEIT −Das neue Landesmuseum fr Technik und
Arbeit in Mannheim− Kultur &Technik 2/1991 Deutsches Museum
(7)Lothar Suhling Stationenim Industrialisierungsproze
 SdwestdeutschlandsTechnische Kultur Denkmale 22 1990.12.
 F臈erkreis Westf臺sches Freilichtmuseum Hagen e. V.
(8)Landesmuseum fr Technik undArbeit in MannheimRundgang1992
(9)Landesmuseum f Technik und Arbeit in MannheimLandesmuseum
fr Technik und Arbeit −Ein Project der staatlichen Hochbauverwaltung −
1990


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